江戸の完全なるリサイクル
江戸がリサイクル社会だった
というのは、みなさん何処かしらで聞かれたことがあるかと思います。
どのぐらいのリサイクル社会だったか、というと
完璧な、という形容が相応しいほどのものだったようです。
布のリサイクルを見てみましょう。
着物 → 古着 → 雑巾
いえいえ、もちろんこんなもんじゃありません。
→ 風呂釜の燃料 → 灰 → 肥料
すごくないですか?
モノのライフサイクルチェーンを支えるリサイクル業者は細分化されつつも、
各々が生計が立てられたというそのリサイクルシステムにも驚きます。
もう一つリサイクル事例をご紹介します。
下総から江戸へ薪を運んだ舟は、帰りに江戸の生ゴミを積んで
有機肥料として使われたそうです。
ではなぜ、これほどまでに徹底したリサイクルが行われていたのでしょう?
節約のため、というのもあったかもしれませんが
一番の理由は、みんなが好き勝手にゴミを出していたら、下水道網もゴミ焼却施設もない時代、町がすぐにゴミで埋もれてしまうことが分かっていたからだと言います。江戸の最盛期人口には諸説あるようですが少なくとも100万人は暮らしており、当時の世界でも1、2位を争う人口を抱える大都市でした。
同時代のヨーロッパでは建屋の上の階から、通りに向けて糞尿をぶちまけていて
それを避けるためにハイヒールが生まれたというのは、有名な話ですが、それとは対照的に江戸はゴミでも落ちていようものなら誰かが拾ってリサイクルに回したので、とても清潔だったと言います。
(参考図書)
リサイクルに加えて、レンタルも相当充実していて
例えば魚売りの行商人が、まな板と包丁を持って売り歩いたりと、
かさばるものは持たなくても生活していけたそうです。
どこでも過去の好きな時代に行けるんだとしたら、迷わず江戸に行きたい。
途中、杉浦日向子さんをピックアップして。
リサイクル生活が苦ではなかっただろうことは、
よく聞く「宵越しの銭はもたない」が端的に表しています。
事実、江戸っ子は寄席行ったり、芸ごと、旅行したりといったことには
気前よくお金を使ったそうです。
現代よりよっぽど人間味のある暮らしをしてたんじゃないか、とさえ思えます。
250年という、世界でも類を見ない戦争のない時代を質素に謳歌した人々の知恵や考え方に学ぶことは多い。tiny house生活にもふんだんに取り入れていきたいところです。
次回は
「ヨーロッパの節エネに学ぶ」
を取り上げたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。